ゴールデンウイーク初日の4月29日、旧友に誘われて標的の村をみました。
「沖縄の基地に絡むドキュメンタリー映画のようだ。」位の予備知識しかありませんでした。

はじめに160人ほどの部落東村高江に住むゲンさん一家の暮らし振りが映し出されます。ゲンさんは奥さんと6人もの子どもの8人家族です。手作りの家は、カフェにもなっていて、ゲンさんの作る新鮮な野菜と奥さんの作る窯焼きパンが人気です。
悪戯をしてゲンさんのげんこつを食らう悪がきどもの姿が微笑ましい。
そんなゲンさんたち高江の住民に突然降りかかったヘリパッド(ヘリコプター離着陸帯)新設計画。
ヘリパッドにはオスプレイも来るという「ヘリパッドが出来たら、もうここには住めない。」と、ゲンさんたち高江住民は、2007年1月22日、那覇防衛施設局に抗議をします。しかし同局は「米軍の運用に関しては、日本側は関知できない。」と突き放すばかりでした。

そして、2008年8月21日、ついに施設局が工事にやってきて、座り込みをする住民と睨み合いになりました。

それから間もない同年11月25日、住民15名に那覇地方裁判所から呼び出しが来ました。
国が、現場での座り込みは通行妨害に当たるとして地元住民相手に仮処分申請をしてきたのです。力のある国が力の弱い住民を訴える、という余り聞いたことのない裁判です。アメリカでは、力を持つ企業や自治体が声を上げた個人を弾圧・恫喝するために訴えることを、スラップ裁判として禁じている州が多いと言われています。

映画は、このスラップ裁判を縦軸として進行します。
途中、1960年代のベトナム戦争当時、高江村の住民が、演習場内に作られたベトナム山村を模した村で、アメリカ海兵隊の襲撃訓練用の南ベトナム人役に駆り出されていた事実が明らかにされます。
高江村の住民はゲリラ役として、アメリカ軍の標的にされていたのです。

2009年12月11日の仮処分決定が出ました。住民15人のうち13人に対する処分は却下されますが、2人に対しては通行禁止仮処分が出され、本裁判に発展します。
2012年3月14日、本裁判の第1審判決が出され、2人のうち1人に対する訴えを棄却しますが、残りの1名には妨害禁止命令が言い渡されました。
住民側は直ちに控訴しました。

同年7月19日早朝、まだ裁判の最終決着をみないうちに、那覇防衛施設局は、座り込みを続ける高江住民の反対の声の中で、建設現場に資材の搬入を強行してしまいます。
その直後の同月23日、山口県岩国基地にオスプレイ12機が配備され、沖縄への配備が秒読みとなってきたのです。

同年9月9日、オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会が開かれ、保革を問わぬリーダーが参加した会場で翁長那覇市長(現沖縄県知事)が「戦後、銃剣とブルドーザーで土地を強制収用したこととなんら異ならない構図が継続している。」と訴えました。しかし、政府は、同月28日、電話一本で県知事にオスプレイ配備を通告してきました。
同月27日から普天間基地に押し寄せていた沖縄住民は、同月29日には同基地のゲートの全てに何台もの車を停めてしまいました。
そして、その車の周囲に沖縄住民が座り込み、寝転がり、封鎖してしまったのです。前代未聞の出来事です。
同月30日になると機動隊が投入され、住民たちは次々と排除されていきます。
その姿を笑顔を浮かべながら見下ろしている米兵。米軍基地を守るために投入された日本人警官と、もみ合う日本人。戦後のアメリカと日本の関係が象徴的に描かれている、日本人にはとても悲しいシーンです。

ついに10月1日午前11時20分、最初の2機のオスプレイが普天間基地に飛来しました。
このオスプレイ、配備3日後には高江で訓練を始めてしまいました。
同年12月23日、高江に心寄せる人々が呼び掛け、「愛と怒りのサウンドデモ」が行われ、このデモには3,000人が参加しました。
「道のりは長いが、決してあきらめない。」

それから2年半。このデモ以降、沖縄ではすべての選挙で基地反対派の候補者が当選しました。翁長那覇市長は沖縄県知事に当選して、県民とともに普天間基地県外移転を訴えて精力的な活動をされています。
県知事を先頭に沖縄県民一丸となって、基地の町沖縄からの脱却をめざそうとする姿に、目頭が熱くなりました。

この映画の後、高江でヘリパッド反対の運動を担ってきた石原岳さんから現地報告がありました。

石原さんは、神戸出身で、ヤンバルと呼ばれる亜熱帯雨林地帯に魅かれて高江に住むようになって、運動に巻き込まれ、それを主体的に担ってきた様を生き生きと語ってくれました。
「タケシさん、そろそろお仕事の時期ですね。」と奥様に出稼ぎに送り出される様をユーモラスに語りながら、運動と生活の両立の難しさをさりげなく語ってくれました。

石原さんのお話しをお聞きした後にミュージシャンでもある石原さんのCDを買い求めました。
癒し系の静かな音楽で、石原さんの熱い活動の底に秘めた静かな情熱を感じさせてくれました。