第8回『法恩寺橋から竪川へ』

我が下町の太陽法律事務所の所在地墨田区江東橋二丁目14番7号は、尾張版江戸切絵図(1849~1870年)によると、大名牧野遠江守か夏目近江守の下屋敷のあった辺りと思われます。我が事務所は、JR錦糸町駅から徒歩3~4分、京葉道路に面した賑やかな場所にあり、往時の面影は殆ど残しておりませんが、江戸末期の雰囲気を知る手掛かりが、佐伯泰英のベストセラー小説居眠り磐音江戸双子11巻「無月ノ橋」にありました。

「御用船は法恩寺橋の船着場から横川を南に向かった。横川の両岸は船問屋など水運に関わる店が並び、人の往来も賑やかで、水上にも雑多な船が行き来していた。」(無月ノ橋32ページ)

まず事務所から北へ歩いて15分程のところにある法恩寺に行ってみました。
法恩寺は1457年太田道灌開基の由緒あるお寺で、参拝客で賑わい、その門前には食べ物屋が軒を並べていたと言われています。
<写真1>
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今も長い参道が残っていて、かって20の塔頭11の末寺を従えた大寺だったことを十分想像させてくれます。
<写真2>
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<写真3>
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法恩寺橋の袂は、船でやってきた参拝客の船着場があって賑やかな場所でした。そして法恩寺橋際には、眠り磐音と行動を共にする御用聞き竹蔵が主の「地蔵蕎麦」があったとの設定になっています。現在、竪川以北の横川は全て埋立てられ大横川親水公園となっていて、往時の賑わいを想像するのは容易ではありません。

<写真4>
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<写真5>
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<写真6>
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かって横川は竪川、小名木川と交わり隅田川に注いでいましたが、現在は竪川と交わった辺りから南側だけが大横川の名で残されています。

<写真7>
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次回は眠り磐音とともに横川と交わる竪川に入り、横十間川を北上いたします。ご期待ください。