牛島神社から北へ300メートル程行くと三囲神社があります。文和年間(1352~6年)近江三井寺の僧源恵が東国遍歴の際、この地に弘法大師ゆかりの朽ちた社があるのを見て、これを改築しようとしたところ、土の中から白狐にまたがる老翁の像を発見した。その時白狐が現れて、その神像の周りを3回回った。これが三囲(みめぐり)の名の由来であると言われています。江戸時代から有名な神社で、浮世絵などにも描かれています。

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三囲神社と三井寺の僧との関わりから、三井家は江戸進出以来三囲神社を守護神として奉っています。池袋三越前にあったライオン像は、このような関わりから三囲神社に寄贈されています。
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また三囲神社には、江戸の俳人榎本其角の有名な句碑が残されています。折からの旱魃で葛飾村の農民が鉦や太鼓を打ち鳴らして雨乞い祈願の最中、同神社に来合わせた其角が農民の頼みに応じて献じた夕立の句を献じたところ、翌日どしゃ降りの雨が降ったと言われています。
「夕立や田をみめぐりの神ならば」
「三囲」と「見巡り」と「み恵み」を掛けただけでなく、夕立の{ユ}、田の「タ」、神の「カ」の三文字で豊作まで祈っている、中々凝った仕掛けの俳句です。残念ながら残されている老朽化して句碑から文字を読み取るのは困難です。
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さて肝心な三囲神社と海舟の関わりです。
氷川清話には、明治31年(1898年)7月、日照りを見かねた海舟が其角の句を念頭に雨乞いの歌を詠んで奉納したところ、丁度その日に雨が降った。俺の歌も天地を動かし鬼神を哭かしむるほどの妙があるとの自慢話とともに、次の自慢の歌が書き記されております。
「三囲の社につづくひわれ田を、神は哀れと見そなはさずや」
果たしてこれが名歌かどうかは分かりませんが、海舟は「歌詞などはまずくっても、誠さえあれば、鬼神は感動するよ。今の世の中は、実にこの誠というものが欠けている。政治とか経済とか言って騒いでいる連中も、真に国家を憂うるの誠から出たものは少ない。」と歌の上手さより誠が大切と居直っております。この負けん気こそ海舟の真骨頂なのでしょう。
因みに、神社のどこを探しても、海舟の歌碑を見付けることはできません。