佐伯泰英の居眠り磐音江戸双子11巻「無月ノ橋」で、亀戸天満宮の船着場から主人公居眠り磐音たちが、「萩の寺」と呼ばれた天台宗龍眼寺に向かったことは既に述べました。萩の花の咲く頃再度訪れるとの約束を守るべく、9月「萩の寺」に向かいました。満開とまではいかず、楚々とした咲き具合でしたが、元々地味な花なので、それはそれで味わいがありました。

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「無月ノ橋」34~5ページには、「この寺の寺宝は聖徳太子自ら彫ったという自像であった。その身の丈2尺5寸で、御像の頭には太子と妃の御髪が植え込んであるといい、稙髪聖徳太子堂とも呼ばれていた。龍眼寺に伝わる『太子縁起』によれば、推古天皇11年葵亥(603)、太子御齢32歳、同年11月28日檜隈の宮において霊木を得て自親影像を作り、斑鳩の夢殿に納めたまふ」「それがどうして竜眼寺に安置されているのか。戦乱の御世、あちらこちらに移された後、慶長7年(1602年)頃、南都大安寺および花洛蓮華王院、高尾の神護寺、豆州田方の般若王寺、相州鎌倉の法華堂、武州小菅の最明寺、江州滋賀菅原寺、摂州金胎寺等を転々とした後、宝暦12年(1762年)10月に武州荏原郡の清谷寺より竜眼寺に移り、安置されたそうな。」とあります。
龍眼寺の寺務所に「この寺に稙髪聖徳太子像があると聞きましたが・・・」とお訊ねしましたが、「そのようなお話は聞いたことがありません」との返事。
佐伯泰英は、小説であっても丹念に史実を掘り起こしながらそれを作品に散りばめる作風とお見受けしておりますので、この記載は全くの創作とは思えません。もし本当なら、国宝級の木像が亀戸のこじんまりとしたお寺(とはいえ江戸名所図会にも紹介されている古刹です)に眠っていることになります。
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乏しい調査能力の範囲内で、萩の寺にまつわるあれこれを調べてみました。
その中に龍眼寺と亀戸天祖神社は1395年(応永2年)僧良傳によって創建され、稙髪聖徳太子堂は亀戸天祖神社の地にあったとの記載がありました。
また、同神社のHPには別当寺(神社を管理する寺)は龍眼寺との記載がありました。次回は亀戸天祖神社を訪ねてみます。