この連休を利用して夫婦でポーランド旅行をしてきました。ポーランドについての予備知識と言えば、ロシアとドイツという大国に挟まれて辛い歴史を刻んできた、ユダヤ人大虐殺の現場アウシュビッツのある国といった程度に過ぎませんでした。
しかも、妻の古くからの友人で、ポーランド在住30年以上の松本さんご夫妻に通訳とガイドをお願いしての、旅行社を介さない二人だけの旅行ですから、不安いっぱいの旅立ちでした。
4月27日午後0時成田発の、アエロフロート機でモスクワを経由して、午後10時20分頃ワルシャワに入りました。10時間20分に時差の7時間をプラスした17時間20分の、とても長い空の旅でした。
経由地のモスクワでは乗継便の出発が1時間以上遅れているにもかかわらず、何のアナウンスもなく、前途に些か不安が募りました。それでも何とか無事にワルシャワに到着して、松本夫妻に地ビールで歓迎してもらいました。

翌28日は、あいにくの雨模様の中、ワルシャワ市内見学です。市内のど真ん中にある宿泊地のホテル「ノボテル」から「新世界通り」を北上しました。
まず松本夫妻のご長男在人君が大学院生となっているショパン音楽大学を訪ねました。
ポーランド出身の世界的音楽家ショパンの名前を付していることからも分かる通り、ポーランド随一の音楽大学です。
ショパン音楽大学
<ショパン音楽大学>

「新世界通り」は北上を続けると、名称を「クラクフ郊外通り」に変えます。
その通りで、すぐ目に付くのが聖十字架教会です。
聖十字架教会
<聖十字架教会>

ショパンの「私が死んだら心臓をポーランドに埋めてほしい」との遺言に基づいて、ショパンの心臓が保管されている教会として有名です。
第2次世界大戦時、心臓はナチスによって持ち去られましたが、戦後再び元の場所に取り戻されました。
ショパンの心臓納場
<ショパンの心臓埋納場>

聖十字架教会の向かいには、ワルシャワ大学があります。
ワルシャワ大学
<ワルシャワ大学>

その少々先には、大統領官邸もあります。
大統領官邸
<大統領官邸>

そのまま北上して旧市街へ向かいます。
ワルシャワ旧市街は、第2次世界大戦でナチスにより壊滅的打撃を受けました。
1944年8月1日、ポーランド市民はナチスに対する組織的抵抗を開始しました。
ワルシャワ蜂起です。この蜂起は、事前にソ連のバックアップを打ち合わせて行われたものであったにもかかわらず、ソ連が傍観し、ポーランド市民18万~25万人が殺され、市街地は廃墟とされてしまいました。
何故ソ連が動かなかったのか?この疑問に対する回答は何通りかあるようですが、武装蜂起した人々が親ソ的でなかったことも大きく影響したと思われます。
この武装蜂起の記念碑が、残されています。
武装蜂起の記念碑_1 武装蜂起の記念碑_2
<武装蜂起の記念碑>

記念碑は、地下水道に潜ろうとするレジスタンス達の姿を表現しています。
レジスタンスは、ワルシャワ市内に縦横に張り巡らされていた地下水道に潜んでゲリラ戦を展開したのでした。

旧市街に入ると、中世のたたずまいで、その入り口右手には復元された王宮がでんと構えています。
王宮
<王宮>

王宮を過ぎると、旧市街です。一度廃墟とされた旧市街は、国民の努力で元の姿に復元され、世界遺産に登録されるまでになっています。
王宮広場
<王宮広場>

王宮広場人魚像
<王宮広場人魚像>

旧市街地の奥にバルバカンがあります。
バルバカン
<バルバカン>

16世紀にレンガで作られた円形状の砦で、火薬庫や牢獄として使用されました。