旧玉ノ井の私娼街の通路は、道が迷路のように入り組んでおり、路地の出入り口に「ぬけられます」の表示があるので足を向けると、狐につままれたように同じ場所をぐるぐる回らされる結果になるなどと言われていました。荷風は、この一角をラビラント(迷宮)と呼びました。

果たして、今のラビラントはどうなっているでしょうか?それを探るために、旧寺島町7丁目61番地旧安藤まさ方を訪ねてみます。前回掲示した地図を片手に「お雪の家」を訪ねます。東向島駅から東武電車の線路沿いの道を北上し、いろは通りとぶつかった角を東側に一寸歩くと「どんどん益々」というお店の看板が見えてきます。

     お雪の家入口反対側

その真向いの路地が「お雪の家」への路地のようです。

    お雪の家入口道①

細い路地を数メートル行くと、一見突き当りに見えますが、この路地は左側に直角に曲がって、続いています。

流石にこの一帯は旧玉ノ井の中心街でもあったため、入り組んだ路地にはラビラントの名残りが濃厚に残っています。

     お雪の家角       お雪の家から左へ

そして、突き当り角の右側のお宅が「お雪の家」跡地に建てられた建物ではなかろうかと見当をつけました。

     お雪の家と思しき場所②

「お雪の家」跡地?前にしばらく佇んで、ラビラントの雰囲気を味わおうとしましたが、些か無理があります。

前田豊はラビラントについて、「娼家へ通じる路地の出入り口は周辺の道路に無数にあり、上部に「ぬけられます」の表示があるから、自然その方に足を向ける仕掛けになっている。だが、いったんこの路地へ足を踏み入れたら最後、ぬけられるどころの沙汰ではなく、狐につままれたように同じ場所をぐるぐる回される結果になる。」と述べています。

     玉ノ井ぬけられます

これだけではラビラントのイメージを掴みかねるという方々に、格好の作品がありますので、幾つかご紹介させていただきます。

まずは、何といっても滝田ゆうの漫画「寺島町奇譚」のページをめくるに限ります。

     滝田ゆう②    滝田ゆう③    滝田ゆう④

滝田ゆうは、1932年寺島町に生まれ、戦前の玉ノ井の私娼街の雰囲気を知悉しており、その漫画からにじみ出ている味わいこそ「玉ノ井」なのではないでしょうか。作家の吉行淳之介は、この漫画を「哀しくやさしく淋しく愉しく薄幸のようで豊かな作品」と評していますが、戦前の玉ノ井も「哀しくやさしく淋しく愉しく薄幸のようで豊かな」場所だったのではないでしょうか。

 ついで、前述の永井荷風と前田豊のお二人の作家の玉ノ井点描を見ていただきましょう。

 永井荷風は、玉ノ井の私娼街を「雨のしとしと降る晩など、ふけるにつれて、ちょいちょいとの声も途絶えがちになると、家の内外に群がり鳴く蚊の声が耳だって、いかにも侘しさが感じられて来る。それも昭和現代の陋巷ではなくして、鶴屋南北の狂言などから感じられる過去の世の裏淋しい情味である。いつも島田か丸髷にしか結っていないお雪の姿と、溝の汚さと蚊の鳴く声とはわたくしの感覚を著しく刺激し、三,四〇年むかしに消え去った過去の幻影を再現させてくれるのである。わたくしはこの果敢くも怪し気なる幻影の紹介者に対して出来得ることならばあからさまに感謝の言葉を述べたい。」と表現しています。吉行淳之介と比べると、懐古趣味に重点を置いていることが分かります。

作家の前田豊は、ここでの私娼と客とのやり取りについて、「ラビラントに足音がすると、立ち並ぶ娼家の1尺四方位の小窓から、女が顔をのぞかせて「ちょっと、ちょっと、兄さん」「ねえ、ちょっと、旦那」「ちょっとここまで来てよ。お話があるの。」と呼びかけが始まります。その口調は、哀れっぽく泣きつくようなものから、がなり立てるようなもの、細く長く訴えるものまで、まさにコンクールのように多彩であったそうです。」と述べています。「しっぽり」した情味とは縁がありませんが、猥雑な中に素の人間の姿が見て取れるような気がします。

これでも玉ノ井が味わい足りないという方には、ラビラントに足を踏み入れていただくしかありません。