春慶寺から浅草通り沿いを西へ業平橋まで歩きます。
道中、遠江国横須賀藩三万五千石の西尾隠岐守下屋敷の高札があります。

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<西尾隠岐守下屋敷跡>

鬼平の時代、周辺は穏やかな田園風景が広がる行楽地ではありましたが、夜になると大名下屋敷は博打場に変わり、脛に傷持つ連中が身を隠す場所でもありました。

「小梅代地町の通りをまっすぐに東へ行き、横川にかかった業平橋をわたったとき、(おれの跡を、だれかがつけて来ている・・・)五郎蔵は、そう感じた。そこで、橋をわたり、すばやく西尾隠岐守下屋敷わきの木立へ飛びこみ、提灯のあかりを吹き消し、業平橋のほうをうかがってみた。だれもあらわれない。(ど、どうかしていやがる。気のせいだ。こんなことじゃあ、大滝の五郎蔵の名が泣こうというものだ。しっかりしろよ、五郎蔵。)」「敵」(四)

大滝の五郎蔵が、自分の盗人宿へ向かう途中の描写です。
五郎蔵は、この後自分の盗人宿で手下どもに裏切られて命を奪われるところを鬼平に助けられ、鬼平の密偵になるのです。

業平橋の下には、かって大横川が流れていました。
現在この川は埋め立てられて大横川親水公園となって、季節ごとに色とりどりの花を咲かせています。
もちろん水は流れていませんが、公園内の釣り堀で釣りを楽しむことができます。

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しばらく、花を眺めながら親水公園を南下します。
紅葉橋の袂に「すみだパークギャラリーささや」という喫茶店があります。

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<出村の桜屋敷跡>

この場所に、名主田坂直右衛門の屋敷「出村の桜屋敷」がありました。
鬼平が若き日、剣友岸井左馬之助と剣技を競い合った高杉銀平道場の北側になります。

この屋敷から「御門人のかたがたに、これをさし上げるよう、祖父から申しつかりました」さわやかな口上と共に、下男がうったばかりの蕎麦切と冷酒を下女に運ばせつつ道場へあらわれたのが、名主の孫娘18歳のふさでした。

ふさを巡って、鬼平と左馬之助は、若かりし頃「手を出すなよ、おふささんに・・・」『お前こそ、な』「出したら、斬る」「おれもだ」と血走った眼と眼をひたと合わせて誓い合ったものでした。「出村の桜屋敷」(一)

この屋敷は、恋敵であった鬼平と左馬之助の憧れのおふさの住まいでした。

「出村の桜屋敷」の隣にある「高杉銀平道場」は、桜屋敷の一角の百姓家を改造した建物のようなのですが、桜屋敷から結構離れています。桜屋敷の宏大さが知れるというものです。

「その日・・・。横川に浮かべた数艘の舟へ、花嫁と立派な嫁入り支度をのせ、これがゆったりと水面をすべって行くのを、平蔵と左馬之助は道場の門外に立ち、青ざめた顔で見送った。
いいさ、おふささんが、しあわせになるのなら・・・」「出村の桜屋敷」(一)

この日花嫁は、法恩寺橋際の船着場から嫁入り船に乗って嫁入ったはずです。
法恩寺の隣にあった高杉銀平道場は、鬼平と左馬之助が、片思いのふさとの別れを迎える悲しい場所になってしまいました。

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<法恩寺橋>

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<高杉銀平道場>

法恩寺は、太田道灌を開基とする名刹で、元禄8年(1695年)、現在の地に移され、塔頭二十ヶ寺、末寺十一ヶ寺、関東の触頭(ふれがしら)として、幕府と各宗派との連絡役を務め、高い格式と権力を誇りました。
今でも門前には塔頭が残り、当時の威勢を偲ばせてくれます。

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<法恩寺>

鬼平と左馬之助は、高杉道場時代から二十余年を経て再会し、法恩寺前の「ひしや」に入り、久しぶりに湯豆腐で熱いお酒を酌み交わします。その席で左馬之助の口から、「おふさ」が本所にいることが語られます。
鬼平が密偵に調べさせてみると、「おふさ」は、盗賊一味であることが分かります。

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<法恩寺門前>

鬼平と左馬之助の変わり果てた「おふさ」との再会の場は、よりによってお白洲でした。
「白洲から引き立てられるときに、平蔵と左馬之助は、たまりかねて詮議場へ出て行った。
白洲に立ったおふさは、詮議場へ、急にあらわれた二人の男に気づいて、これを見守ったが、彼女の表情はみじんも動かない。
まったく、おふさは、平蔵も左馬之助も忘れきってしまっていたのだ。」

二人の初恋物語は、時を経て悲しい結末を迎えてしまったのです。

ここまでくれば皆さんお分かりですね
。岸井左馬之助は、池波正太郎が創作した人物ですから、左馬之助寄宿の寺、出村の桜屋敷、高杉銀平道場の何れも、春慶寺が実在のお寺であることを除くとフィクションです。

それにも関わらず、堂々と石碑や墨田区の高札まで設置されているのです。
「観光資源を活かしたまち歩き観光を積極的に推進する。」とのことで2013年に墨田区内16か所に設けられました。
鬼平人気への便乗商法的臭いがしなくもありませんが、墨田区の活性化につながれば結構なことでしょう。

つづく