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人情弁護士の下町探訪

下町散歩

下町探訪(第111回芭蕉ゆかりの地を訪ねて①)

 今回は松尾芭蕉を取り上げます。芭蕉は、1644年(寛永21年)、伊賀上野赤坂(今の三重県上野市)で郷士の身分を失っていた農民の子として生まれました。  1662年(寛文2年)、芭蕉19歳の頃より藤堂藩侍大将藤堂良精の嫡 …

下町探訪第110回 葛飾北斎ゆかりの地を訪ねて④

北斎は、その生涯に30回改名しています。自らの意思で改名していることが多いのですが、破門されて改名せざるを得なかったと思われる場合もありました。1794年(寛政6年)、北斎35歳の時勝川派から破門されたようで、それまで1 …

下町探訪第109回 葛飾北斎ゆかりの地を訪ねて③

遍照院を南下し、言問橋を隅田川の東岸に戻り、その北側に歩くと三囲神社があります。 <三囲神社> 文和年間(1352~6年)、近江三井寺の僧源恵が東国遍歴の際、この地に弘法大師ゆかりの朽ちた社があるのを見て、これを改築しよ …

下町探訪第108回 葛飾北斎ゆかりの地を訪ねて②

榛稲荷神社から南西方向へ10分位歩くと、回向院に到着します。 <回向院> 北斎は、この寺で大布袋の描画をしたと言われています。残念ながらその描画は残っていません。 1817年名古屋の大須で120畳の大達磨の描画をした際の …

下町探訪第107回 葛飾北斎ゆかりの地を訪ねて①

葛飾北斎は、1760年(宝暦10年)9月23日に、本所割下水で生まれました。 当時、本所には南と北の二つの割り下水がありましたが、単に割下水というと南割下水を指しました。 川幅は1~2間(1.8~3.6メートル)程度、汚 …

下町探訪第106回 濹東綺譚ゆかりの地を歩く③

今回は、戦後に発展した玉ノ井を訪ねます。旧玉ノ井は、1945年3月10日の東京大空襲で全焼し、壊滅状態になりました。 しかし、逞しいというべきか、その直後から、いろは通りの北側、現在の墨田三~四丁目あたりの非罹災地では、 …

下町探訪第105回 濹東綺譚ゆかりの地を歩く②

旧玉ノ井の私娼街の通路は、道が迷路のように入り組んでおり、路地の出入り口に「ぬけられます」の表示があるので足を向けると、狐につままれたように同じ場所をぐるぐる回らされる結果になるなどと言われていました。荷風は、この一角を …

人情弁護士の下町探訪第104回 濹東綺譚ゆかりの地を歩く①

 1958年(昭和33年)4月1日に施行された売春防止法によって幕を引かれるまで、玉ノ井は下町の私娼街として庶民が哀歓を共にした場所でした。  以来、60年近い歳月が流れています。今更、当時の雰囲気に迫ることができるか分 …

人情弁護士の下町探訪(第103回両国界隈赤穂浪士ゆかりの地巡り④)

赤穂浪士ゆかりの地を巡ってきましたが、果たして浪士たちは義士と言えるのでしょうか?当時の学者(儒者)の意見は、義士肯定論と否定論の真っ二つに分かれていました。山崎闇斎門下の佐藤直方、荻生徂徠らが、義士否定論を、室鳩巣や山 …

人情弁護士の下町探訪(第102回両国界隈赤穂浪士ゆかりの地巡り③)

 今回は、その他のゆかりの地を訪ねます。 <大高源吾句碑>  大高源吾は、内蔵助に最も信頼された人物で、当時の俳諧の第一人者宝井其角とも親交がありました。和歌や国文の素養もあり、茶道にも堪能でした。茶人山田宗偏の門に入り …

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